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北の湖の腰の反りは独特だなぁ。
北天祐が隆の里に勝って土俵下の兄弟子北の湖の掩護射撃の瞬間の北天祐がさっとみて、めったに笑わない北の湖がニコっとする瞬間…涙が出ますね。私と3つしか違わない北天祐、あまりにも短い人生。残念です。
両国国技館での神風節と北出名語りべには改めて感慨深いものがあります。
北の湖はホンマに憎たらしいくらい強かった… けど根は心優しい人でした😊
立ち合いはぐっと気をためて立つと、威力が違うんだよね。笑っていいともで知った。
この頃の映像を見ていると、力が自然に入ります。止められません。今の相撲にない動き、個性的な掛け声の行司さん。ただただ懐かしいです。
向坂さん・北出さん・杉山さん、懐かしい実況😊
53:14~ 北天祐、カッコ良すぎる !!
シビレる、北天佑!
睨みもまた、シビレる相撲の北天佑!
40:59に森光子が映っていたこのころの隆の里は初日に保志に当てられて負けて途中休場というパターンが多かった。北の湖-多賀竜戦、実況の向坂さんは事前に引退を知っていたような実況ぶりだな・・北の湖の負け方が栃錦の最後の相撲とそっくり。
関西の江戸弁と称する歯切れの良い神風さんの名解説は相撲の臨場感を倍増させますね
若嶋津と北天佑の、互いに意識しまくったライバル関係が本当に好き
でも、むちゃくちゃ仲良し
昭和59年は特に面白かったな~
神風さんの解説がえ〜ですね✨✨
保志は型となった押し一辺倒じゃなくてたまに柔道が出るのがいいね
今と違って普通に後半から千秋楽に掛けて横綱大関戦や横綱同士の対決があるのだからね。今は寂しく感じる。
大徹の誤審で相撲人生がパーになった力士がいる
この時代は。睨み合いがあったんですねー。今の取り組みはないですもん。つまらない😩。。やはり。日本人の力士が多くて。見てて。面白いです。素敵な映像ありがとうございました
若嶋津の全勝優勝懐かしいで♥️す
Awesome era of sumo!
この頃の取り組みには「攻防」があります。ツボにハマった時の朝潮の強さ。負ける時はあっけないですが、魅力的で個性的な力士が多く、面白いです
昭和60年初場所新国技館のこけら落としとなった場所晴れの舞台に横綱が休場する事はできない。潔く散る覚悟で出よ。という言葉を受け強行出場をした。しかし全盛期の力はもはやなく優勝24回を誇る北の湖が場所中に現役引退を表明した。
20:21「食い付いたらダメ、突っ張らなきゃ」神風さん厳しいな
1:35 ~ 若嶋津も大きな保志を落としました…😅
この頃の良くも悪くも安定感のある大関陣(北天祐、若嶋津、朝潮、琴風)を見て育ったので、現在のような大関に昇進しても続々と陥落していく状況がちょっと信じられないです。
差は注射すれば、大関維持、ガチンコなら調子悪かったらすぐ陥落。それしかない。特に、千秋楽の朝潮ー北天佑は悪質極まりない注射が多かった。正に大関互助会
いまはガチが増えたからね
北の湖の最後の優勝だったんですね〜。ほんと憎たらしいほど強かった。
1:52 もろ差し名人だからか逆鉾は相撲が鶴竜に似てる!以降は隆の里に勝ち越してたんですね…
鶴竜は逆鉾の弟子なんだから当たり前。鶴竜が井筒部屋伝統芸のもろ差しを完成させて、横綱に昇進した。
やっぱり、立ち合い改革をしたのは、大正解だね。相撲が綺麗だわ。
21:19こんな相撲を見れた世代が本当に羨ましい。
小学生でした。みてました
昭和60年は千代の富士が強すぎたが朝潮や北天佑の優勝もあり、また北尾、大乃国、保志、小錦も活躍していましたね。
北天佑vs逆鉾も懐かしいですね♥️北天佑の次女が貴景勝の奥さん♥️逆鉾の長女が志摩ノ海の奥さんで、昨年11月出産されましたね。貴景勝はカド番脱出を、志摩ノ海は幕内復帰を目指して欲しいと思います♥️2月11日日本大相撲トーナメント戦で、直筆サインを頂けたこと♥️感謝致します♥️
大徹が千代の富士を破った一番の翌日、地元の福井新聞は一面にこの記事を持ってきて、特集も組んだそうです(笑)
皆若くて死んでしまった寂しいです経済も相撲も活気があったなあ
北天祐はじめ、隆の里、北の湖、千代の富士、逆鉾、朝潮…さみしいですね。
Man; Wakashimazu had incredible strength for his size. I would have been a big fan of his if I was around back then
強い強いビックりだは
昭和59年名古屋場所、若嶋津全勝優勝。12日目北天佑戦、右四つ左上手で土俵側まで詰め寄った北天佑が、右下手を抜いて、若嶋津の首に巻いて、その直後に若嶋津に投げられた。ちょっと????ですね。
この時代の相撲は面白かったですね。横綱大関が充実してたから平幕優勝なんて滅多に出なかったなぁなんといっても千代の富士が強かったし、横綱になった北尾ですら一度も優勝出来なかった
立ち合い手ついてないからちゃんと手ついてやることになってからの方がという意見もある
I haven't been able to know why didn't Hokutenyu and Wakashimazu were promoted to yokozuna
昔は手をついていなかったんだぁ。
日本一決定戦優勝
昭和60年は、横綱千代の富士関が年間80勝を挙げ優勝4回。以降5年間続く千代の富士単独時代の始まりとなりました。敗れた相手を調べますと、朝潮関2、若嶋津関2、北尾関2、北天佑関1、鳳凰関、大徹関、花乃湖関各1でした。うち金星配給は4つです。重量級の大乃国関や小錦関には負けなかった反面、よもやの相手に強引さで墓穴を掘る事もありましたね。稽古をつけた弟弟子保志関が大関、横綱と上がるにつれて安定感が増し、30歳以降5回の全勝優勝を成し遂げました。
please more information on date and place. Showa era is too vague
1984-1985
41:58若嶋津戦の北勝海、最後土俵下に落っことされたがこの時大丈夫だったろうか…一歩間違えると肘痛める可能性あるし…
45:33 51:14 1:04:47 昭和60年初場所の1場所だけ実況スタイルを変えてきた杉山邦博の謎
本当に謎ですね。やたら早口で忙しない。不評の声が届いたんではないでしょうか。
昭和59年秋の多賀竜は相撲が冴えに冴えてますね。若嶋津はもう少しで横綱に手が届くところまで来てたんですね。
ただ、あそこで負けちゃう人は、横綱にしちゃだめだろうね。あと、2回の優勝が2回とも苦手の千代の富士休場の場所だったことも実績の割に評価があまり高くない原因。若嶋津よりは勝負どころで千代の富士に勝っている北天祐の方が印象は良い。
@@真田安房守-r4p さん 私が相撲中継を見始めた頃には北天佑はクンロク大関になっていましたが、それ以前は千代の富士との対戦成績も良く、横綱になってもおかしくない強さを発揮していたんですね。
@@ハル-i3b 北天祐は千代の富士が台頭し始めた昭和50年代後半千代の富士が隆ノ里の次に苦手にしており、北の湖と対戦がない有利さは割引しなければならないが、千代の富士にほとんど勝てなかった若嶋津より綱に近い存在だった。千代の富士戦に闘志を燃やした一因に何故か九重部屋に入門し、千代の富士にいじめられて辞めたと言われる弟の仇打ちの気持ちがあったからだとされる。
ぁぁぁぁん!ってできます。
何かをしでかす栃赤城(賞賛)
昭和56年11月場所もお願いします!
OK!!
かなぁ!!
事実の程は判らないが、関脇時代の逆鉾関には「星の貸し借り」の噂が付きまとっていたなぁ・・・・・(8勝7敗)
千秋楽での【朝潮vs北天佑】もね!!
朝の山
このS59年は、前年名古屋から初場所までは千代隆相星決戦の時代春と名古屋は若嶋津が絶好調秋は小錦旋風九州以降は千代の富士復活北の湖は夏場所「最後の優勝をするにはこの場所しか残されていない!」というチャンスをうまく活かした、後世から見ると。
というより、新国技館での土俵入りにこだわる北の湖がそこまで延命するにはあそこで優勝するしかなかった。単に、他の上位陣がそれに協力しただけ。あの時点の北の湖にガチンコで全勝できる地力があるわけない。
大潮の行司さん、名立行司の庄之助ですね
1:33:30
多賀竜の強さにビックリ
この頃は立ち合い手着いてないのがよくあるな……🤔
今の力士達とは足運びが全然違いますね。
昭和59年秋場所から、「立ち合いの正常化」ということで、腰を下ろして、初めから両手をつく、または片手をついてからもう片手をポンとついて立たないと、立ち会い不成立になりました。
Anyone know what year this tournament was held in ?
1984
@@alvaropelayo8084 thank you
旭富士の合口の極端さが際立つ。北の湖には強く、朝潮、小錦の高砂巨漢勢もカモにしてたが、何故か千代の富士にはまるで歯が立たない。平成に入って綱取りに苦戦した最大の原因が千代の富士戦に勝てないこと。一方小錦がカモなのは終生変わらず、小錦の唯一の全勝優勝のチャンスを本割、決定戦連勝で打ち砕いた。小錦が横綱に上がれなかった一因は、旭富士との合口の悪さだろう。旭富士がいなくなった時には、曙、貴乃花が台頭し、時代の波に飲み込まれて、綱取りどころか大関陥落
25:03
北尾 強かったな 稽古嫌いと 言われていたけど 見えないところで コツコツやっていたな バカな師匠の犠牲になって 悲しいね
まわしゆるすぎだろ
spectactular
この映像に出てくる力士は全員もうこの世に存在してませんね。悲しい😢
若嶋津、朝潮、琴風、保志(北勝海)、大乃国、旭富士、その他多くの力士はご存命です(2022年10月)
ata sotik atongkokukto abng sokti gunthobbo.
佐田の海のお父さん??
はい。息子はお父さんに似てますね。
そうですね😊
外国人力士が加わる前と後で別の競技の気もする
ポケ投げ 2回目
寄り切りwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
僕だけ
日本映画成人映画
今の力士は稽古が足りてないし稽古内容も良くないんだろうと思う。
あかんああああああああございません
上と下の意味
上げ寄り切り
尾も白い?
上手だけwww
1:08:55 👣
八百長があったであろうは、千秋楽七勝七敗なら九分九厘勝ち越すから視聴者にもわかってた。(取り組みは忘れたが、負けが二番あった)でも、相撲がオモシロかったのは若貴時代までで、その後は下降。魅力的な力士も減ったし、幕の内の半数近くが、三役以上の殆どが、横綱二人がモンゴル勢では興味も失せる。一番の印象は、優勝決定戦の貴乃花VS武蔵丸の、鬼の形相。「よくやった、感動した!」。あれがピークでしたね。
ぁ!?
この頃は、大関横綱でも手付きを全くしていない!! なのに、いまじゃ協会のお偉いさんになってる…(笑)
大鵬柏戸も中腰で立ってましたよ。
上手だけ
寄り切り
ただいまの巨人について 浅いします 同時になりましたけど高安の足が出てありましたので同時に失格となりますあかん
下投げ
最初の方、北の湖が若島津に負けたのは、温情か、八百長だろ。転んだ。
全然 親父のほうが強い
55:55
1:24:18
北の湖の腰の反りは独特だなぁ。
北天祐が隆の里に勝って土俵下の兄弟子北の湖の掩護射撃の瞬間の北天祐がさっとみて、めったに笑わない北の湖がニコっとする瞬間…涙が出ますね。私と3つしか違わない北天祐、あまりにも短い人生。残念です。
両国国技館での神風節と北出名語りべには改めて感慨深いものがあります。
北の湖はホンマに憎たらしいくらい強かった…
けど根は心優しい人でした😊
立ち合いはぐっと気をためて立つと、威力が違うんだよね。
笑っていいともで知った。
この頃の映像を見ていると、力が自然に入ります。止められません。今の相撲にない動き、個性的な掛け声の行司さん。ただただ懐かしいです。
向坂さん・北出さん・杉山さん、懐かしい実況😊
53:14~ 北天祐、カッコ良すぎる !!
シビレる、北天佑!
睨みもまた、シビレる相撲の北天佑!
40:59に森光子が映っていた
このころの隆の里は初日に保志に当てられて負けて途中休場というパターンが多かった。
北の湖-多賀竜戦、実況の向坂さんは事前に引退を知っていたような実況ぶりだな・・北の湖の負け方が栃錦の最後の相撲とそっくり。
関西の江戸弁と称する歯切れの良い神風さんの名解説は相撲の臨場感を倍増させますね
若嶋津と北天佑の、互いに意識しまくったライバル関係が本当に好き
でも、むちゃくちゃ仲良し
昭和59年は特に面白かったな~
神風さんの解説がえ〜ですね✨✨
保志は型となった押し一辺倒じゃなくてたまに柔道が出るのがいいね
今と違って普通に後半から千秋楽に掛けて横綱大関戦や横綱同士の対決があるのだからね。
今は寂しく感じる。
大徹の誤審で相撲人生がパーになった力士がいる
この時代は。睨み合いがあったんですねー。今の取り組みはないですもん。
つまらない😩。。やはり。日本人の力士が
多くて。見てて。面白いです。
素敵な映像ありがとうございました
若嶋津の全勝優勝懐かしいで♥️す
Awesome era of sumo!
この頃の取り組みには「攻防」があります。ツボにハマった時の朝潮の強さ。負ける時はあっけないですが、魅力的で個性的な力士が多く、面白いです
昭和60年初場所新国技館のこけら落としとなった場所
晴れの舞台に横綱が休場する事はできない。潔く散る覚悟で出よ。
という言葉を受け強行出場をした。しかし全盛期の力はもはやなく
優勝24回を誇る北の湖が場所中に現役引退を表明した。
20:21
「食い付いたらダメ、突っ張らなきゃ」
神風さん厳しいな
1:35 ~ 若嶋津も大きな保志を落としました…😅
この頃の良くも悪くも安定感のある大関陣(北天祐、若嶋津、朝潮、琴風)を見て育ったので、
現在のような大関に昇進しても続々と陥落していく状況がちょっと信じられないです。
差は注射すれば、大関維持、ガチンコなら調子悪かったらすぐ陥落。それしかない。
特に、千秋楽の朝潮ー北天佑は悪質極まりない注射が多かった。
正に大関互助会
いまはガチが増えたからね
北の湖の最後の優勝だったんですね〜。
ほんと憎たらしいほど強かった。
1:52
もろ差し名人だからか逆鉾は相撲が鶴竜に似てる!以降は隆の里に勝ち越してたんですね…
鶴竜は逆鉾の弟子なんだから当たり前。
鶴竜が井筒部屋伝統芸のもろ差しを完成させて、横綱に昇進した。
やっぱり、立ち合い改革をしたのは、大正解だね。相撲が綺麗だわ。
21:19
こんな相撲を見れた世代が本当に羨ましい。
小学生でした。みてました
昭和60年は千代の富士が強すぎたが朝潮や北天佑の優勝もあり、また北尾、大乃国、保志、小錦も活躍していましたね。
北天佑vs逆鉾も懐かしいですね♥️北天佑の次女が貴景勝の奥さん♥️逆鉾の長女が志摩ノ海の奥さんで、昨年11月出産されましたね。貴景勝はカド番脱出を、志摩ノ海は幕内復帰を目指して欲しいと思います♥️2月11日日本大相撲トーナメント戦で、直筆サインを頂けたこと♥️感謝致します♥️
大徹が千代の富士を破った一番の翌日、地元の福井新聞は一面にこの記事を持ってきて、特集も組んだそうです(笑)
皆若くて死んでしまった寂しいです経済も相撲も活気があったなあ
北天祐はじめ、隆の里、北の湖、千代の富士、逆鉾、朝潮…さみしいですね。
Man; Wakashimazu had incredible strength for his size. I would have been a big fan of his if I was around back then
強い強いビックりだは
昭和59年名古屋場所、若嶋津全勝優勝。12日目北天佑戦、右四つ左上手で土俵側まで詰め寄った北天佑が、右下手を抜いて、若嶋津の首に巻いて、その直後に若嶋津に投げられた。
ちょっと????ですね。
この時代の相撲は面白かったですね。
横綱大関が充実してたから平幕優勝なんて滅多に出なかったなぁ
なんといっても千代の富士が強かったし、横綱になった北尾ですら一度も優勝出来なかった
立ち合い手ついてないから
ちゃんと手ついてやることになってからの方が
という意見もある
I haven't been able to know why didn't Hokutenyu and Wakashimazu were promoted to yokozuna
昔は手をついていなかったんだぁ。
日本一決定戦優勝
昭和60年は、横綱千代の富士関が年間80勝を挙げ優勝4回。以降5年間続く千代の富士単独時代の始まりとなりました。
敗れた相手を調べますと、
朝潮関2、若嶋津関2、北尾関2、北天佑関1、鳳凰関、大徹関、花乃湖関各1でした。うち金星配給は4つです。
重量級の大乃国関や小錦関には負けなかった反面、よもやの相手に強引さで墓穴を掘る事もありましたね。
稽古をつけた弟弟子保志関が大関、横綱と上がるにつれて安定感が増し、30歳以降5回の全勝優勝を成し遂げました。
please more information on date and place. Showa era is too vague
1984-1985
41:58
若嶋津戦の北勝海、最後土俵下に落っことされたがこの時大丈夫だったろうか…一歩間違えると肘痛める可能性あるし…
45:33 51:14 1:04:47 昭和60年初場所の1場所だけ実況スタイルを変えてきた杉山邦博の謎
本当に謎ですね。やたら早口で忙しない。不評の声が届いたんではないでしょうか。
昭和59年秋の多賀竜は相撲が冴えに冴えてますね。若嶋津はもう少しで横綱に手が届くところまで来てたんですね。
ただ、あそこで負けちゃう人は、横綱にしちゃだめだろうね。
あと、2回の優勝が2回とも苦手の千代の富士休場の場所だったことも実績の割に評価があまり高くない原因。
若嶋津よりは勝負どころで千代の富士に勝っている北天祐の方が印象は良い。
@@真田安房守-r4p さん 私が相撲中継を見始めた頃には北天佑はクンロク大関になっていましたが、それ以前は千代の富士との対戦成績も良く、横綱になってもおかしくない強さを発揮していたんですね。
@@ハル-i3b
北天祐は千代の富士が台頭し始めた昭和50年代後半千代の富士が隆ノ里の次に苦手にしており、北の湖と対戦がない有利さは割引しなければならないが、千代の富士にほとんど勝てなかった若嶋津より綱に近い存在だった。
千代の富士戦に闘志を燃やした一因に何故か九重部屋に入門し、千代の富士にいじめられて辞めたと言われる弟の仇打ちの気持ちがあったからだとされる。
ぁぁぁぁん!ってできます。
何かをしでかす栃赤城(賞賛)
昭和56年11月場所もお願いします!
OK!!
かなぁ!!
事実の程は判らないが、関脇時代の逆鉾関には「星の貸し借り」の噂が付きまとっていたなぁ・・・・・(8勝7敗)
千秋楽での【朝潮vs北天佑】もね!!
朝の山
このS59年は、
前年名古屋から初場所までは千代隆相星決戦の時代
春と名古屋は若嶋津が絶好調
秋は小錦旋風
九州以降は千代の富士復活
北の湖は夏場所「最後の優勝をするにはこの場所しか残されていない!」というチャンスをうまく活かした、後世から見ると。
というより、新国技館での土俵入りにこだわる北の湖がそこまで延命するにはあそこで優勝するしかなかった。
単に、他の上位陣がそれに協力しただけ。
あの時点の北の湖にガチンコで全勝できる地力があるわけない。
大潮の行司さん、名立行司の庄之助ですね
1:33:30
多賀竜の強さにビックリ
この頃は立ち合い手着いてないのがよくあるな……🤔
今の力士達とは足運びが全然違いますね。
昭和59年秋場所から、「立ち合いの正常化」ということで、腰を下ろして、初めから両手をつく、または片手をついてからもう片手をポンとついて立たないと、立ち会い不成立になりました。
Anyone know what year this tournament was held in ?
1984
@@alvaropelayo8084 thank you
旭富士の合口の極端さが際立つ。
北の湖には強く、朝潮、小錦の高砂巨漢勢もカモにしてたが、何故か千代の富士にはまるで歯が立たない。
平成に入って綱取りに苦戦した最大の原因が千代の富士戦に勝てないこと。
一方小錦がカモなのは終生変わらず、小錦の唯一の全勝優勝のチャンスを本割、決定戦連勝で打ち砕いた。
小錦が横綱に上がれなかった一因は、旭富士との合口の悪さだろう。
旭富士がいなくなった時には、曙、貴乃花が台頭し、時代の波に飲み込まれて、綱取りどころか大関陥落
25:03
北尾 強かったな 稽古嫌いと 言われていたけど 見えないところで コツコツやっていたな バカな師匠の犠牲になって 悲しいね
まわしゆるすぎだろ
spectactular
この映像に出てくる力士は全員もうこの世に存在してませんね。悲しい😢
若嶋津、朝潮、琴風、保志(北勝海)、大乃国、旭富士、その他多くの力士はご存命です(2022年10月)
ata sotik atongkokukto abng sokti gunthobbo.
佐田の海のお父さん??
はい。息子はお父さんに似てますね。
そうですね😊
外国人力士が加わる前と後で別の競技の気もする
ポケ投げ 2回目
寄り切りwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
僕だけ
日本映画
成人映画
今の力士は稽古が足りてないし稽古内容も良くないんだろうと思う。
あかんああああああああございません
上と下の意味
上げ寄り切り
尾も白い?
上手だけwww
1:08:55 👣
八百長があったであろうは、千秋楽七勝七敗なら九分九厘勝ち越すから視聴者にもわかってた。(取り組みは忘れたが、負けが二番あった)でも、相撲がオモシロかったのは若貴時代までで、その後は下降。魅力的な力士も減ったし、幕の内の半数近くが、三役以上の殆どが、横綱二人がモンゴル勢では興味も失せる。一番の印象は、優勝決定戦の貴乃花VS武蔵丸の、鬼の形相。「よくやった、感動した!」。
あれがピークでしたね。
ぁ!?
この頃は、大関横綱でも手付きを全くしていない!! なのに、いまじゃ協会のお偉いさんになってる…(笑)
大鵬柏戸も中腰で立ってましたよ。
上手だけ
寄り切り
ただいまの巨人について 浅いします 同時になりましたけど高安の足が出てありましたので同時に失格となりますあかん
下投げ
最初の方、北の湖が若島津に負けたのは、温情か、八百長だろ。転んだ。
全然 親父のほうが強い
55:55
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